- L5:考察・理論
- 2026-02-19
- 2026-02-21
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【第1回】「近すぎず、遠すぎず」がなぜこんなに難しいのか? ―― 波紋坂道理論 序説 [L5-S13-C001]
すぐ隣にいるのに分かり合えない孤独と、遠くのニュースに深く傷……
![【第2回】「平面の定規」がもたらす安心と罠 ―― なぜ私たちは目に見える数値を信じてしまうのか [L5-S13-C002]](https://relagnet.com/wp-content/uploads/2026/02/d7ba100b88bf4c1a2d8651b520b45b05-2.png)
※本連載の原点となる第1回の記事はこちら
私たちは、寸法が合わないと分かっている服を、なぜ毎日着続けようとするのだろうか。
前回の第1回の記事において、対象との間に生じる「近すぎず、遠すぎず」の摩擦は、私たちが三次元の深さを二次元の定規で測ろうとするシステムエラー(バグ)であると定義した。
しかし、ここで一つの疑問が浮かび上がる。 次元が違い、正しく測れないと分かっているのなら、なぜ私たちはその狂った「平面の定規」を、あっさりと捨て去ることができないのだろうか。
その答えは極めてシンプルだ。「平面の定規」がもたらす目に見える数値は、私たちの不安を麻痺させる劇薬として機能するからである。
人間関係においては、連絡を取り合った回数、出会ってからの年数、あるいはSNSにおけるフォロワー数や「いいね」の数。 情報や事象においては、ニュースサイトのPV数、動画の再生回数、ビジネスにおけるKPIの達成率、あるいは自身がインプットに費やした学習時間。
これらはすべて、現実世界(Real World)の平面上に存在する、明確に計測可能なデータである。
人間の脳は、未知のものや不可視のものを恐れる。相手の心の深さや、事象の奥底にある真理といった「見えない暗がり」を覗き込むよりも、「今日はあの人と3回会話をした」「今日はニュースを10本読んだ」という表面的な数値をカウントする方が、はるかに簡単で安心できるのだ。
定規の目盛りが増えていくこと。それは「関係性が前進している」「世界をより深く理解できている」という強烈な錯覚を私たちに与えてくれる。
しかし、ここで残酷な真理を提示しなければならない。 平面上での数値がどれほど積み上がっても、それは対象の「核心」に触れたことを一切保証しないということだ。
十年連れ添った夫婦が、ある日突然、互いのことを何も理解していなかったと気づき、途方に暮れることがある。 同じように、毎日何百というニュース記事を読み込み、膨大なデータを処理している人間が、社会で起きている事象の本質的な悲しみや構造を、何一つ理解できていないことがある。
前者は「共に過ごした時間」を、後者は「消費した情報量」を誇るかもしれない。だが、どちらも現実世界の平面上で、対象の表面をただ「平行」になぞり続けていただけなのだ。
平行線は、距離がどれほど近かろうと、数値がどれほど大きくなろうと、決して交わることはない。対象の地下へ続く「坂道(Slope)」を下るという立体的なアクションを起こさない限り、私たちの認識は二次元の浅瀬にとどまり続けるのである。
「平面の定規」にすがりつく限り、私たちは一時的な安心感と引き換えに、永遠に対象の真理には触れられないというジレンマに陥る。
真の理解へ至るためには、まず自分が無意識に握りしめているその狂った定規から、静かに手を離さなければならない。目に見える数値への執着を捨て、他者や世界から発せられる見えない「波紋(Ripples)」の微細な揺らぎを感じ取ること。
それが、私たちが非現実世界(Non-Real World)という三次元の空間認識モデルへと移行するための、最初の通過儀礼となる。
次回は、私たちがこれほどまでに平面の定規を信じ込んでしまう「錯覚の正体」について、そのメカニズムをさらに解剖していこう。
はじめまして!食品工場勤務のリラグネットです。 ブログ開設後2年間完全に放置していましたが、乃木坂46のゲーム記録から執筆リハビリを開始。現在はAIを駆使してサイトを本格的に大改修中です! ガンダムや『さよなら絶望先生』、ミッシェルからケミカルブラザーズ、京極夏彦、劇団☆新感線まで、大好きなカルチャーとブログ運営のリアルを語ります。