【第3回】錯覚の正体 ―― なぜ私たちは「近さ」を「理解」と誤認するのか [L5-S13-C003]

【第3回】錯覚の正体 ―― なぜ私たちは「近さ」を「理解」と誤認するのか [L5-S13-C003]
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※本連載の原点となる第1回の記事はこちら

前回の第2回の記事では、私たちが目に見える数値という「平面の定規」に依存し、二次元の浅瀬にとどまってしまうジレンマについて解剖した。

ではなぜ、私たちの脳はそもそも「物理的な近さ(接触量)=精神的な近さ(理解度)」というシステムエラーを、最初から初期設定として組み込まれているのだろうか。

その錯覚の正体は、私たちの頭蓋骨の中に眠る「古代の生存プログラム」にある。

「よく見るもの」を安全とみなす古代のOS

かつて人類が過酷な自然環境を生きていた時代、見慣れない景色や、初めて遭遇する他者は、すなわち「生命の危機」を意味していた。 生き残るためには、未知のものを強烈に警戒し、逆に毎日顔を合わせる群れの仲間や、見慣れたテリトリーを「安全」だと即座に判定する必要があった。

つまり、「接触頻度が高い(物理的に近い)=安全であり、味方であり、理解できるもの」という自動処理のアルゴリズムは、私たちが生き延びるために不可欠な防衛本能だったのである。

しかし問題は、私たちの脳が未だにこの「旧式のOS」で稼働しているにもかかわらず、現代社会の環境が劇的に変化してしまったことにある。

距離の圧縮が引き起こす、現代のバグ

現代のテクノロジーは、現実世界(Real World)における物理的な距離を極限まで圧縮してしまった。これにより、私たちの古代の脳は、人間関係と情報の両面において盛大なエラーを起こし始めている。

人間関係においては、直接言葉を交わしたこともないSNS上の他者の日常を毎日眺めているだけで、脳は「毎日遭遇している=この人は身内であり、深く理解している」と誤認する。 あるいは、毎日ただ隣のデスクで業務連絡をするだけの同僚に対して、無意識のうちに「心の距離も近いはずだ」という幻想を抱いてしまう。

情報や事象においても全く同じ構造が起きている。 地球の裏側で起きている複雑な紛争や、背景に深い歴史を持つ社会問題。それらがスマートフォンの画面を通じて毎日タイムラインに流れてくると、私たちの脳は「毎日見ている=この事象の構造を完全に理解している」と錯覚する。

対象の心の地下へ続く「坂道(Slope)」をただの一段も下っていないにもかかわらず、表面的な情報との「接触頻度」が高いだけで、私たちは他者や世界をすっかり分かった気になってしまうのだ。

自動処理を停止せよ

これが、私たちが「平面の定規」を手放せない錯覚の正体である。

私たちが人間関係で摩擦を起こし、情報に対して浅薄な判断を下してしまうのは、ある意味で「旧式の脳のプログラム通り」に動いてしまっているからに過ぎない。 この錯覚から抜け出すための第一歩は、脳の自動処理を意図的に停止させることだ。

「よく見ているからといって、深く知っているわけではない」。

この残酷な事実を受け入れたとき、初めて私たちは、対象から放たれる未知の「波紋(Ripples)」を正確に観測する準備が整う。

次回は、私たちが本来向き合うべきその「波紋」が、どのように発生し、私たちの内面を揺らすのか、そのメカニズムについて潜行していこう。


■ 波紋坂道理論:過去の観測記録

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リラグネット

リラグネット

はじめまして!食品工場勤務のリラグネットです。 ブログ開設後2年間完全に放置していましたが、乃木坂46のゲーム記録から執筆リハビリを開始。現在はAIを駆使してサイトを本格的に大改修中です! ガンダムや『さよなら絶望先生』、ミッシェルからケミカルブラザーズ、京極夏彦、劇団☆新感線まで、大好きなカルチャーとブログ運営のリアルを語ります。

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